マジンガーZ / INFINITY
マジンガーZ / INFINITY

↑最近流行りですが、ディレクターズカット版に近い、内容を追加した小説版(作者は脚本家)も発売されてます。


生きてます。とりあえず、体は。


マジンガーZは、1972年放映開始、グレートマジンガーまで入れれば1975年(さらにグレンダイザーまで入れると1977年)まで続いた、いわゆる「ロボットアニメ」の嚆矢です。すでに50年余り前の作品という事に驚愕するわけですが、パラダイムシフトを起こして「スーパーロボット」を駆逐する機動戦士ガンダムと、数年しか離れていないという事実が、今となっては意外かも知れません。

さて、そのガンダムが未だにシリーズが続けられアニメの代名詞にもなっている一方、人口に膾炙しスピンオフや小作品は色々作られながらも既に古典扱いで「糸車と並んで博物館に」並んでいたようなシリーズに、2018年にもなって作られた続編。それが本作です。

舞台は、シリーズ終了から10年後、再びドクターヘルと機械獣軍団が世界を襲うと言う王道の内容です。これに、現役を退き科学者となっている兜甲児、グレートに乗り続けている剣鉄也、新光子力研究所所長の弓さやかと言ったお馴染みですが立場が変わった面々が立ち向かうわけです。

さすがに前置きが長くなりましたが、公開初週に観てきた感想は以下の通り。

1. 作品として、非常に良くできている。話は王道、各シーンは視聴者が見たい物を見せる。
2. シナリオは1箇所非常に強烈な皮肉を効かせている所はあるが、かつての視聴者を祝福する見事なもの。
3. それ故に、「自分達の世代」で同型作品を作ったらどうなるか、と考えると暗くなる。

順番に説明していきます。


まず、作品として、マジンガーZとしてとても良くできていると思います。リアルタイム世代にはほど遠いのですが、まずマジンガーZはロボットものであり、ロボットのアクションを見せる活劇です。
その意味で、冒頭のグレートマジンガー無双に始まり、襲い来る懐かしの機械獣軍団がそれぞれの特長を活かして街を蹂躙するシーンや、マジンガーZによる敵中突破、ボスボロットの怪演、そしてアシュラ男爵やブロッケン伯爵、ドクターヘルと言った大ボスとの決戦まで、飽きさせません。そして、懐かしいキャラクターに再会した視聴者に寄りそう形で、彼らの変わらない点・変わった点を短い時間で丁寧に見せ、シナリオに緩急をつけつつ最後の決戦へと話を運びます。オリジナルキャラには賛否があるかも知れませんが、ラストシーンを含めて非常に上手くあの世界にはめ込まれており、存在の必然性としてもシナリオ上の役割としても満点だと思います。



次に2ですが、ここからはネタバレが厳しくなりますので、視聴後に読むことをお勧めします。






と言うわけでシナリオなのですが、かなり上の世代による「ボロボロ泣いた」と言う感想を聞いていたのですが、なるほどなあと思いました。勿論、もう二度と会えないと思っていたキャラクター達・あの世界に触れられるというのがまず一番の理由であるのは間違いありません。(MOSAIC.wav の「LOCAL JESUS」と言う曲を思い出しますね→歌詞)しかし恐らくそれに加えて、あのシナリオ全体が「同時代人への限り無い祝福」である点こそ重要なのだと思います。
本作のシナリオはつまり、「望む世界のあり方」を選択する、平行宇宙の収束ネタです。何故マジンガーでこれなのかと言うのは一瞬疑問を持ったのですが、ドクターヘルの「平和な時代は退屈だったんじゃ無いのか?」「お前はそんな奴ではない」と言う煽りでなるほどなと思いました。
当時兜甲児に憧れ、しかし当然兜甲児にはなれずそれぞれの人生を歩んだかつての少年達に、これはストレートに響くはずです。そして、そうしたドクターヘルの言葉を否定し、最後の出撃を行いながら、最終的に「放映当時において定型」であった「小さな幸せ」(ジュンの回想の中で剣鉄也が語る希望は、恐らく今の日本で叶える事は至難です)に帰着するシナリオは、そんな元少年達の歩んできた人生への全肯定に他なりません。
勿論、そうした定型からこぼれている人々も多いはずなのですが、放映当時で考えると、リアルタイムの視聴者が社会に出たのは1980年代。経済成長は続き、人口は増え、そして冷戦も終結へと向かう繁栄の時代です。「小さな幸せ」を実現し、つまりこの作品に共感を感じられる人生を送った人間の数は、十分に多かったでしょう。(例えば、婚姻率は80年代位からそこまで変化は無いのですが、当時の初婚年齢は男性28女性25程度、出生率も1.5を超えています)
このため私は、この作品は当時の少年達への、その人生への祝福なのだなと目頭が熱くなりました。ロボット物なのでオタク云々言うのは全く以て筋違いで、テレビシリーズは国民的アニメだったのですから、ここで言う元少年達はそのままあの世代の人間に他なりません。だからこそ、麻疹撲滅のポスターにこの作品が使われたりするわけです。(あのポスターを熱心に眺めて、マジンガーが当時大好きだったと話している、50代と思しき女性2人連れを見て驚いたこともあります)

なお、冒頭で触れた強烈な皮肉というのは、ドクターヘルが「人類の弱点は多様性だ!」と喝破するのに対して、直接的な反論が語られること無く、その後のシナリオ展開が「人類が心を一つにして勝利に至る」と言う流れになっている点です。原作の永井豪がハレンチ学園などでどう言う扱いを受けたか考えれば、あの辺の、正義を持って作品に干渉しようとする人々が掲げるお題目に何を感じるかは言うまでも無いでしょう。ちなみに、性的などうこうとかそう言うのを特に考慮しないシーンが頻出します。あ、乳首は消されてましたが(逆に不自然で気になりますね、あれ)。
ちなみに、私はおっぱいミサイルも弓さやかのエロコスも好きではないのですが、時代に迎合してそれらを消してしまったら、そんなものはマジンガーでは無くなるわけですから、良い判断だと思います。


と言うわけで、とても楽しく鑑賞でき、しかも狙っている所に見事に落としてあるシナリオに感心したりしていたのですが、最後に、自分の世代に当てはめてみると暗くなってしまったのですよね……
私は、マジンガーZよりかなり後の人間です。私自身は何とかサバイバルしていますが、それこそ悲惨な状況にある友人知人親戚は、枚挙に暇がありません。そして、もう根本的な救済には手遅れ(派遣法の改正に端を発して大量生産されてしまった未熟練労働者の大群、適齢期を過ぎてしまった独身者達)のため、世代の総体としてはこのまま沈むしかありません。文字通り、社会のサンクコストです。

従って、例えば我々の世代に直撃した作品群、まあエヴァは今でも続いていてアレなので置くとして、G/Wガンダムやナデシコなどの続編が20年程度後に作られたとして、そこでドモンやヒイロやルリルリは、小さな幸せを手に入れて日常に戻る姿を人々に見せられるのでしょうか?そのような物語は、かつてガンダムパイロットやナデシコのクルーになりたかった少年少女の心に、有効に響くものたりえるのでしょうか?
私には、戦争でボロボロになり、故郷に戻っても迫害される、「ランボー」のような作品にしかなり得ないのではないかと思ってしまうのです。

コミケの一部の島のような年齢構成の観客が笑顔であるいは涙ぐみながら歩くのに混じって映画館を出ながら、そんな事を考えてしまいました。
勿論、悪いのは私の側であって、作品が素晴らしいものだという事実には何の違いもありません。是非ご覧下さい。



当BLOG内の、映画関係記事はこちら